PRにおける学者と実務家の変化とは?今回はあえて難しいままゆっくり解説
コラム
経営戦略×PR
2020.05.09

PRにおける学者と実務家の変化とは?今回はあえて難しいままゆっくり解説

PRとは何か?このシンプルな問いに対しての答えはその成り立ち、歴史的背景、経済状況、消費者のニーズ、国々によって異なった正解があることは、明白である。今回は、時代の変化と共に実務家や学者の間でどのようにPRが定義され、現代へと連なっていったのか。その変容を辿っていく。

 

PRの原点と歴史

今日のPR は新聞広告、宣伝から発展したというのが定説である。

米国学者ジェイムズ・グラニグやトッド・ハントによれば、PRに似た活動は、紀元前1800年のギリシャの修辞家たちに遡ると言われている。多くの人は米国からPRが発展 実務家は「バーナム&ベイリー・サーカス」で有名なフェニアス・T・バーナムから始まり、最も可能性が高いのは、第一次世界大戦中の主要戦闘国における聖具の活動が始まりであるとする見方である。

情報を統制し、英国、フランス、米国の国民の指揮を高める必要があったことその起源とされる。それは一方通行の説得的パブリシティ手段としてのPRの考えられ、20世期を通して支配的なやり方として続いた。

英米両国における新聞代理店が果たした役割がその典型である。しかし、1920年代になると、PRの発展に貢献したエドワード・バーネイズにより、より洗練された形で一方通行のコミュニケーション論を展開した。

すなわち、「PR=情報・説得・操作活動」により大衆の支持を取り付ける試みであると主張した。多くのPR実務家によると、説得できる=経営者の考え方を周知させる場合にも、認知度を高め販売をテコ入れする場合PR活動の成果として望まれること。

彼らは、PR努力が有益でかつ利益に影響を与えるかどうか、つまり成果を求めるものである。しかし、バーネイズは荒っぽい一方通行のコミュニケーションを単純に主張したわけではなかった。このように、初期の手法に欠けていたのは双方向コミュニケーション、戦略、フィードバックといった高度の概念化である。

新聞広告代理店や宣伝業者は手法を持ち合わせていなかった。彼らの関心は、新聞・雑誌に記載される行数を増やすことであって、クライアントの目的を達成するための戦略を練ることではなかった。

1950年代以降、相互利益や、善意のような考えがいっそう広まり、PRは一方通行のパブリシティ重視から、より計画的な手法を採用する方向に移っていった。

現在も大きな課題として、2004年に、英国のPR協会(IPR)とコミュニケーション・ディレクターズフォーラム(CDF)が行った研究では、次のような結論を提言の中で出している。「PR産業は、適切な計画、調査、評価、すなわちPREを実施するために必要とされる技術的な理解にもっと力点を置くべきである」というものである。

 

PRの定義

ジェイムズ・グラニグはPR活動を大きく4つに分類し、定義した。

①新聞広告および、パブリシティ

②公共広報(パブリックインフォメーション)・・・内部ジャーナリストによって行われる抗お帝的な情報提供

③双方向非対称モデル・・・組織自身の行動を変えることなく大衆の支持を取り付けられるメッセージとは何かを確認するというもの

グラニクによると、「結果は、非対称的なものとなる。望ましい行動の変化とは組織に利益をもたらすことであって、大衆にではないからである。」これは何十年にも前にバーネイズの考え方に近いもので現代的に洗練されたPRの実務の特徴を有している。

◎4つの定義である双方向対象モデルとは

「組織と大衆ウノ両方にとって利益となるもの」=社会的良心を有するPR、利他主義的に定義することと密接に関係している。

2003年英国の貿易産業省とIPRとの共同で発表された報告書では、げんぜざいの英国におけるPR実務の問題点の一つを次のように認識している。PRは、長期的かつ戦略的なリレーションシップ・マネジメントや、企業の社会的責任(CSR)のような新しい傾向に深く関与するものでなければならない。

◎結論としてPRとは何か

多くの人にとって単純な答えは、会社、自分の名前などを活字にさせ、放送させることである。その他の人たちにとっては、パブリシティ(宣伝)のことであり、名前を認知させ、人々の反応を得ることである。

このような外向けで一方通行的プロセスの結果は、通常、新聞の切り抜きや放送記録を集め、名前が出された回数、記事の大きさ・長さ放送時間などを広告費に換算するという形で判定・評価されている。

米国では、カトリップや、センター、ブルームの主張が一般的に受け入れられている。

「PRとは経営的機能であり、組織とその運命を委ねている様々な大衆との間に、相互利益を得られる関係を構築し、維持することである」と述べている。

PR=経営的機能という定義は、結果を意識し、塾講された計画的な行為であることを意味する。これは、「認識し、確率し、維持する」ことによって強化されるが、これには調査と継続的な活動が重要である。「互恵の関係」とは、双方向のコミュニケーションであるが、組織が自分だけでなく相互作用の関係にある大衆の両方にとって利益になるように行動することである。

英国のPR協会が提案したPRの定義=PR実務とは、ある組織と大衆との間に善意と相互理解を構築強い、それを維持するために計画的かつ継続的に努力することである。

 

まとめ 常にPRや広報の現場を感じとろう

ここまでのPRの歴史的背景を考えると、一方通行(途中多少の変化を経て)→双方向特に、経営機能や、社会性とより高次元になってきていることがわかる

しかし、これはPRにとどまったことではなく、人間の歴史の過程を考えるとわかりやすい。

原始人は、一人で狩りをすることより集団を選んだし、人は多くの人を統制するために言語を作り出した。それが集落となり、村なり、国となっていった。その原理を考えると一方的なコミュニケーションから、ダイバーシティに見られる多様化の考え方、近年の社会の環境問題などを解決するユニコーン企業がより力を持ってきたりすることも、PRの流れとの類似性を感じる。

しかし、理論をいくら構築しようと机上の空論であり、現象を切り取った後追いでしかない。PRの実務家は常に現場を感じ、PRや世の中の流れを再定義し続けることが求められ得ているのではないかと思う。


執筆者・監修者
上岡正明
経済記者・経済コメンテーター
戦略PRプランナー・著書26冊累計105万部のビジネス作家
登録者25万人のYoutuber
上岡正明

MBA(多摩大学院経営情報学修了)
テレビコメンテーター
多摩大学客員講師(18,19)
帝塚山大学客員講師(19)
登録者24万人のビジネス系YouTube

「スーパーJチャンネル」「めざましテレビ」「王様のブランチ」「クイズミリオネア」等の元放送作家。日本を代表するPR戦略の専門家で、企業広報のスペシャリスト。未上場から上場企業まで戦略PRを手掛けたクライアントは300社以上。

広報ブランディング、新規事業構築、外資系企業の国内イベント、海外プロモーション支援のコンサルティング会社代表。現在まで約20年間、実業家として会社を経営。これまでに三井物産、SONY、三菱鉛筆、日本瓦斯など200社以上の広報支援、スウェーデン大使館やドバイ政府観光局などの国際観光誘致イベントなどを行う。

代表的なコンサルティング案件としては、日本中の女性たちの心を動かした「表参道のパンケーキブーム」、1年で200万台以上を売り上げた「ふとん専用掃除機レイコップ」、世界が注目する食イベント「肉フェス」、1カ月で6000万人(日本の約半分)にバズらせた「ジャポニカ学習帳“昆虫の表紙が変わった?”」がある。

経営と並行してMBA(情報工学博士前期課程)取得。東京都中小企業振興公社講師。成蹊大学、多摩大学、帝塚山大学の客員講師。東洋経済新報社、ダイヤモンド社、朝日新聞出版社、PHP出版、総合法令出版社、アスコム社、大和出版、すばる舎、宝島社から累計21冊80万部の著書を上梓。

日本神経心理学会、日本行動心理学学会、行動経済学学会、一般社団法人日本行動分析学会、日本社会心理学会、一般社団法人日本小児心身医学会、認知神経科学会の各学会員。

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